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寺山修司から穂村弘へ

「世界中が夕焼け」とそれからのこと

■「北海道新聞」2012年9月19日号発表。「世界中が夕焼け」出版にあたって寄せた文章。

 

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭

寺山修司『田園に死す』

みっつ通った小学校の校歌らが不意の同時に流れはじめる

穂村弘「楽しい一日」


 現代短歌の旗手・穂村弘氏と共著『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』(新潮社)を出版した。もともと自分のブログに、三年半に渡って穂村氏の短歌百首の鑑賞文を自分なりに書き続けていた。穂村氏自らブログをチェックしてくれていたそうで、私の鑑賞に対して穂村氏がコメントを付けるという歌書としてはちょっと珍しいスタイルで本になった。

 『世界中が夕焼け』は二種類の読者層を想定してまとめた。一つは、穂村氏のエッセイなど一般向けの著書は読んでいるが「本業」には触れたことがないというライトな穂村ファン層。もう一つは、常に歴史的意識を抱えて現代短歌を俯瞰する視点を持ったコアな短歌ファン層。現代の歌人で百年後も確実に残っているといえるのは、穂村弘と俵万智。「現代の人気歌人」ではなく、文学史的な意義を踏まえたうえでこの二人の歌人が語られる動きが、遠からず現れてくるだろう。塚本邦雄や寺山修司などの「前衛短歌」の歌人たちが、近年になってようやく文学史の対象となり始めたように。そして『世界中が夕焼け』が、その動きの先駆けとなれればと願っている。

 穂村氏も新作短歌はずっと発表し続けていて、新歌集もそのうち出るだろう。間違いなく相当面白い本になる。おそらくは短歌研究賞受賞作「楽しい一日」や母への挽歌「火星探検」を中核とした構成となるだろうか。『世界中が夕焼け』でも歌集未収録歌を取り上げているが、「昭和」をテーマとした歪んだノスタルジアのある歌は、第一歌集『シンジケート』に収められていたようなきらきらした青春歌からはかなり変化している。第三歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』以降に作られ始めた、穂村弘の新しいステージである。


解けてゆく飛行機雲よ新しい学級名簿に散らばった(呼) 

穂村弘「チャイムが違うような気がして」


 「昭和ノスタルジー路線」の背景にあるのは、戦後の高度経済成長期である。過剰なくらいの未来への希望と、他者への信頼に彩られた時代。現代では全て取り払われたそれらに郷愁を感じていながら、あらためて振り返れば薄気味悪い時代でもあったと懐古する。

 まだ見ぬ穂村弘第四歌集は、寺山修司の第三歌集『田園に死す』と対比されるものになりうる。『田園に死す』は戦中戦後の青森をモデルに、前近代的ムラ社会の土俗性を過剰なまでに表現して、故郷への呪詛を唱え続けた歌集だった。その世界観は現実の青森よりも、貸本漫画に登場するような暗い農村のイメージに近い。少しグロテスクな怪奇趣味とサブカルチャー志向という点が、寺山修司と穂村弘には共通する。

 しかし穂村弘には、寺山が恨みに恨んだ「故郷」がない。地方の農村のかわりに、転勤族という環境で育まれた風土性の薄さを。相互監視的なムラ社会のかわりに、相互無関心な郊外社会を。根拠のない未来への希望とのっぺりとした明るさを、描いてきた。都市が無秩序に拡大していくひずみで生まれつつあった、「どこにいても同じ」な時代の空気感そのものが、寺山にとっての「青森」と同じ機能を果たしているのである。穂村弘は具体的な地域を「恨み」の対象とできなかったかわりに、時代性にそれを求めたのだといえる。そして「恨み」の矛先が変わっても、寺山修司から穂村弘へと変わらず引き継がれたもの。それは「ここから逃げ出したい」という一人の少年の想いである。

 ちなみに穂村氏の父は、夕張の炭鉱技術者だった。ドイツ留学経験もあり、最先端エネルギーを担うエンジニアだったようだ。だが穂村氏の生まれた一九六二年にはもう炭鉱を離れて札幌に住んでおり、その後すぐに関東に移住した。穂村氏の転校人生が北海道の石炭産業の盛衰と密接に関わっていることも、一考に値する事実である。